うさぎとピクニック

うさぎと暮らす、おもに自分の日々

勝手なつぶやき

中途半端のまま

心では毒ならば全部食ってやろう、それもまた面白いと思いつつ、
風邪でもないのに、悪寒がしてたりします。

先日、生産者に言われたこと。
「自分が苦労して育てた、無農薬野菜をなんの苦労もせずに
持っていき売って生活しようなんてずるい」と。
確かに言われるとおりなので、ほんきで結構落ち込むんです。

でもなんかどっかで聞いたような考え方だなあと、
なんだろう、理数的には真実なのに、このアナログ的違和感。
ぼうっと思うなかで、「はっ」、さっき気づきました。

それって、たとえば会社の中で自分が知っていること、
つかんだことを人に伝えないということで自分の存在価値を
自分で保とうとするということに近い…と。
でも、有機農業って、そうして閉じるもののことでしょうか
有機とは、有機質。命あるものがあると言うことです。
いのちあるものを生産して、そしたらそのものを介在して
そこに思いをひとに伝えるというのが
有機的につながるという意味の実践じゃないかと思うんです。
職人が魂込めて作ったものを、思いの分かる人が欲しがるように。
自分がいいと信じる物をうそなく、人に伝えひろめることを仕事にしたいわけですが
それを搾取だと言われることは、そうだろうか、と思う部分があるわけです。

なにかを人に分け与え、情報知識を伝えるということは、
それは損というより、相手に伝えたことで、
自分ひとりが覚えていなくてすむぶん、自分はその一歩先を開いていくことが、できる。
(思えは、団塊の世代でどれだけの過去の文化や歴史が途切れてしまったことか)
とにかく、会社でしたような思いは、もうしたくないのです。

こうして今のようにしがらみなく、なにもない中から作って行くとき、つながりだけが
すべてです。有機的つながりの中に違う意識が入り込むと、増殖します。
怖いものみたさだったことは、反省です。

本日、写真なし。