自分。いまのすべては
孤独からはじまっている。
孤独って、ひとりということではなく。
たとえば、長崎で、事故で傷つき、
東京に戻り、ただひとりの親に住まいの助けを求めるしかなく。
けれど公衆電話で切れる。
ほかに誰もいなかった。それから。動かないからだ、あたま、、
かかえ、立ち上がり、もう、いいやと。
さて帰ろうと思った。
そして気がつく。
どこに?と 。
ぼくはどこに帰る?。
帰るところが、なかった。
しかたなく、ただうろうろと、動かない、からだと頭、かかえ、
金もなく、ただ、夜明けまで時間をつぶしたこと。
そういう瞬間を一度体験すると
どこかに
なにかに、
仕事としてでも、遊びでも家でも
なんでも
「所属」していることが 心地よく思える。
さらに思う。
再びあのことに
何度も身をさらし、そんなことは、
なんでもないんだと
いいきかせようと。孤独、だれも頼れず
行く場所のない孤独こそ、
本来のぼくスタート位置なんだと
なにもない、所属しない 位置。
孤独にはもうなじんだ。
いまは、
電車かバスにのって
ひとまかせの旅にでたい
かえる家がある。
仕事に疲れた日々がある。
なにかに所属している。
居場所がある。