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うさぎとピクニック

うさぎと暮らす、おもに自分の日々

勝手なつぶやき

ビオトープ

ビオトープを作りたいと思っていたのを思い出しました、


山の出口とうちの裏の間には沢があります。
山の水が粘土層の切り崩しから流れてくるので
その山肌から染み出る水を受けて流すため作った溝が、
いまや自然の沢みたいになっています。

削って作ったのに、自然というのも妙ですが
そこはいわば、結果としてそのままビオトープになっていたのです。
山から水は来る、限りなく山の枯葉が舞い落ちて、堆積する。
その結果、春にサンショウウオはいて、カエルもいて、タガメ
アメンホもいて、
そして、これ作らなくてもすでにビオトープじゃないの?と
気づきました。

ただ、あと、迷っています。
これだけ自然として循環していたら
なにをしたらいいのか、
好みとしてメダカや宮城県産ドジョウなども入れたいのだけれど
そのとたん、バランスが崩れて、全部いなくなったりしたら
それこそ。

ほんの、数十メーターくらいの長さの沢のなかでも
池の部分は深さもなくて小さくて、
それでも、自宅に自然のままのビオトープってすごいことなんだと思うのです。

1r1049978 今後、石をいれて、土が崩れるのを防いだり、
ときどき枯葉そうじしたり、手助けをしていきたいのですが
なんとなく、そとから生物を持ち込んだりはしたくないのです。

なんとなく、そのままで。
無限の見えないけれどたくさんの存在するいのちが
そこにいることを、
椅子を置いて、ただ水辺を眺めていたかったりします。

(ちょっと勉強してみようかと本を買った)でもそれよりも、

ときどきまたなにかいないか、きれいな泥に手をいれて
探してみたりしながら、感じながら
沢の端に毎日石積みをしようかと。

遠浅の泥の干潟は、海の命を育む子宮だという。

小さなきれいではない池だって水際が大切なはず。

昔、わさび農家を静岡にたずねたとき
ここは、じいちゃんが石を積んで作った山葵田、
そして、上流のここはおやじが作った山葵田、
いまおれはここを作っていると、さらに上流に石積みを
していた。

そんなことを、石を端に積みながら、思い出したりしています。
きっと石と石の間のすきまになにかの生物がぬくもりを求めて
積みついてくれることでしょう。

1r1049981 石を拾うと、まだその下でカエルが寝ていたりします。
ビオトープというのは町の中での考えなんだと思うけれど
山の中でもなるべく維持をする、変なものを自然の中に介在しない
持ち込まないというのは、ビオトープの作り方に通じると思うのです。

本を買ったけれど、ちょっと失敗。難しい理論は別に…。