うさぎとピクニック

うさぎと暮らす、おもに自分の日々

勝手なつぶやき

昔の風景

ときどき思い出す風景のいくつかがあります。

たぶん、もうそのうちのいくつも残っていないのかもしれない…


こどものとき、駅までの通学路に
手焼きせんべいの店があり
おじいさんが、いつも畳の上に正座をして
おせんべいを箸でひっくり返していました。
焼けたせんべいは壜にいれられて店頭に並びます。
これがまた固いの固くないのって(固いってことです)。

いつ通っても火鉢の前でひっくり返していました。
やがて、畳と、火鉢と、おじいさんが見えなくなり
おせんべいは、袋入りになりました。

 

飴やさんもありました。

通るたびに包丁で切る威勢のいい音がしているとうれしかったもの
それまでに伸ばし、丸めて、また地味に伸ばして、やがてハイライト
とんとんとんとんとんと切って、飴のできあがる。
金太郎飴のときもそうでないときもとんとんとんと、
ぼくの中で、地域のアイドルでした。

店先の外の池で泳いでいるうなぎを取ってきてはさばく
うなぎやさんもあった。
ぼくは店のひとに怒られながらも、通り道の池のうなぎで遊んだらしい。

 

たまに親と買い物に出かけた時に買ってもらう、
今川焼、栗、肉まんはとてもごちそうで
その立ち寄ることがなにより、贅沢でした
そのうち、マクドナルドや、なにかの隙間に
埋もれ、日常から消えていきました。

 

身近にあったあの時代が贅沢だったのかもしれないと思いながら
思い出す、あさ七時にあるいてパンを買いに行き
みんなで朝ごはんのパンを食べた休みの日。
製麺屋さんにその日のお昼のうどんを買いにいき
夕方に豆腐屋さんが自転車に積んで売りに来たときに鍋をもって
声をかけ味噌汁の具のないときの一品。

 

金魚売りの金魚は、水の中でゆらゆらと涼しげで
しゃーしゃーとリアカーに乗せた氷を胴体でもきれそうな
大きなのこぎりで飛沫をあげながら切るこおり屋さんの前は夏は天国で

 

魚屋さんではよく小さな沢蟹や、ドジョウを
こづかいで、買に行った。
(なんで魚屋さんでペットをうっているのか当時理解できず
カエルも売っていればいいのにと思った)

学校帰り、塾帰り、パチンコ屋さんに入って下を向いて歩き
拾ったパチンコ玉1個でパチンコをして
…これがまた出たりしてよくなめこの瓶詰や
チョコレートに代えてもらったものです。

 

冬の駄菓子屋さんでは、50円あれば知らない子たちと
いっしょにこたつに入り、もんじゃ焼きを食べたもの。
そこで豚肉など差をつけられたりすると、悔しかったっけ
ぼくはいつも素で、せめて、切りイカくらいだったかな。
これは欠かせないので。

今思うと、子供時代過ごした商店街は、
社会との接点のすべてでした。


いまからはネット…が社会になっていくのかな
目に見えない労力や汗して働く姿はますます見えにくくなっていくのでしょうね。

 

ぼくは葛飾区亀有で生まれ育ち、柴又は遊び場で

中学は浅草でした。

高度成長時代真っ最中から日々変化する激しい東京がきつくなり

いまは、自然があふれ全然変化のない田舎に住んでいて

少しぼうっとしすぎています。