うさぎとピクニック

うさぎと、自転車、田舎での日々

勝手なつぶやき

ジャズ喫茶

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仙台の老舗ジャズ喫茶。

すべてが古い、そのままでそれがいい味。
つぎはぎだらけの椅子が新しいかったらそれはまた違う。

ただひとつ、トランジスタアンプなのが残念、
音的には低音が不足ぎみだったり(イコライザー調整しているのかも)
ホーンツイーターの割に広域の伸びがいまいちなのは
まあいい

存在に意味。
古いそのままをトレースということに意義があるような。
そういえば、集う人たちは古いひとたちばかり。
いつしか自分もその中のひとり。

むかし高校生のとき、お茶の水のちいさいジャズ喫茶に行ったら
後輩がウエイターのバイトしてて驚いたっけ。
そんな趣味がと。
みんな背伸びしていた世代。

ジャズはわからない音楽だった。
いまはいくらかわかる
アルトサックスは女性の声
テナーサックスは男性の声
楽器という形を借りた叫び。

自分の特異な楽器で叫ぶ、それがジャズ
ハーモニカ、ドラム、ピアノ、
それぞれの重なり合いと助け合い尊重。

むかし背伸びして神田のさぼうるでシングルを頼んで
帰りの地下鉄で途中下車、たった一杯で吐いた。
いまはロックを飲みながら
ここまでの時間を感じる。
自分、店、音楽。

長い時間


いま流れているレコードの録音は1960年
スピーカー前にレコードジャケットを立てかけてはいるけれど
それ以上の情報が手元のスマホ(この音楽は誰?)でたちどころにわかる。

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そのちょっとしたつまらなさ。

店では古い同じレコードを毎日かけ続ける
CDでも、アナログをデジタルリッピングするでもなく。
いまやあたらしいレコードはなく古い
その時代そのまま。

そしてそこが落ち着くのは忘れてきたものが
そこにあるからでしょうか。
タイムカプセルのように。
変化の激しい高度成長期を経た
ぼくの世代ならではの悲しみと喜びと。
いまの年齢になって湧き上がる大事な感情。

ふらりひとり来た妙齢の女性が
今はもうないアルテックA5かA7スピーカー前の
特等席で目をつぶりスイングしソウルに浸るその姿のかっこよさ。

 

 

久しぶりに一関のベーシーに行きたくなりました。