うさぎとピクニック

うさぎと、自転車、田舎での日々

勝手なつぶやき

帰宅して補足

ずいぶん時間がたっちゃったけど、書く時間がなくて…。

いまさらの備忘録。


高速の行きは、常磐道を選択。

あまり時間が変わらないようだったので、なら新しい道を

途中の自販機で金山町の天然炭酸水を売っていたので買いました。

こんなとこでおととしか、自転車で出会ったあそこのあれに再度あうとは。

炭酸水の湧き水ボトル詰

おいしい水が炭酸になった感じです。

にしても、走りにくい常磐道、狭い、途中一車線になる

人の後をついていくと楽だけれど飽きてくるですね、

自分の道を進んでいることにならないから何も感じないし見えない

ただ時間が過ぎてくだけ。

やがて知っている道に出て、首都高に。

えっいつの間に1950円に?500円時代はどこ行った。

とかあれこれ考えていたら、きれいな大きなろうそくみたいな

スカイツリーがドーンと。おおきいすごいなあ、深夜の観光道路みたいだ。


みるみる迫る分岐にうしろから迫る車、わきから入る車、

いかん観光している場合じゃない、

久しぶりに戦闘モード、首都高はそういえば戦いだった。スマートな戦闘。

オーディオを切ってナビ音声集中、ナビも忙しそう、つぎつぎと指示。

そうだ東京はそうだった

降りるときバーないし普通に走ってて課金というのも以前と違う、

間違っており過ごしてしまって、そしたらETCで再度乗ってくださいと

係員、ETCだと区間清算だけれど、現金だとひとつで降りても

満額の1950円もらわないといけないからと。
へー…

 

自転車では、なんといっても一日目の甘酒茶屋は素晴らしかった、

どこかの田舎みたいだけれど

東京の近くにしてあの歴史の佇まい、建物は移築したらしいけど。

tabi.furu-po.com


二日目は、ループ橋、人間の感覚として90度まではふつうのカーブなんですが、

そこを過ぎるとまた立て直しあらたに90度まで待つ感じ、そのあと180度すぎると

あれ?なに?


アウトインアウトのどこまで傾け続けていいのかという感じになり、

360度からまた90度を待つというこれ僕だけかな、そのあとはようやく

傾け続けることに慣れるんだけれど。スピード出さなくても面白いクラっと感でした。

 

それとやはり西伊豆スカイラインは素晴らしかった。

行く前、すこく不安で、でもいけるとこまででも行きたいという気持ちが勝り

あきらめず登り、結果不安は杞憂となりこうして無事に帰ってこれたわけだけれど

凍結か所がいくつもあったのは実際やはり怖かった、翌日降雪あったわけだし。

スカイラインは人がいない時間だったこともあり、景色独り占め。

太陽、海、山、街の明かり、満月がすべて見えた。

あるいは富士山も見えたのかな暗くてわからなかったけど。

すべての時間の経過に意味があるので、写真だけ撮ってもという風な思いで

チャンと写真撮ってないけど、心に焼き付いています。

 

それにしても東北の道の走りやすさ車の少なさは自転車にはありがたい環境。

死とは突然見ていた夢を断ち切られることに等しい

毎朝たまたま目覚めて、夢の続きを生きている。

思い出はそのときだけのものいまじゃない。

相手あるならなお、自分だけの思い出。


ロングから帰宅すると

体重がかわそのらず翌日図ると1キロ増えるパターンが多いです。

なんでだろう、自己流で考えるに筋肉が炎症起こして水分保持のため、

むくむからその分の水分かなら水分をさらにとるようにしないと、

疲労成分が尿に早く流れていくように。

 

 

 

 

 

正月サイクリング旅、ニ日目

二日目って言っても、実質一泊四日の三日目なので

体調的にどうなんだろう、と出発前一番心配していたことでした。

 

それが、なんとびっくり、普段は足が痛むのこらえ移動しているのに

起きてまあどこも痛みがないのでした。

朝5時ころまでぐっすりでトイレにすら一度も起きずという

ぼくは自転車乗っていたほうが調子がいいのかなんでだか。

そんな調子のいい自分を抑えきれず30分早くしてもらった朝食時間

七時半ですら待てなくなってきました、朝食内容に期待をもてなさそう

だったのとそれならコンビニでもいいし

なんといっても前日の坂が思う以上に時間食ってしまい

予定より一時間遅れだったので、同じような獲得高度の今日

もしパンクトラブルやや凍結などで歩いたり遠回りしたりすることに

なったら、予定の新幹線に乗れなくなってしまう。

それだけは避けたい、という気持ちが最大でした。

とはいっても寒く暗い中走りだしたくはないので日の出を見て出発。

熱川からの日の出

白浜で朝ごはん、地元のジュースの補給食

刮目せよ、あれがループ橋だ、

最初の目的地は天城峠(旧トンネル)ですが、そんなに興味はなく

むしろ途中のループ橋をぐるぐるしたいという欲求と距離の調整

兼ねて、坂を上りたいという気持ちからでした。

砂利道の天城峠は静かでだーれもいない。

石積みトンネルと簡単にいうけど、どうやって作ったのか、トンネルが未来永劫続かせる意思があったはずを

山の中なのに明かり。




そして帰りはその下の現代に掘られたトンネルまで下って戻りました。

下に降りたところでわさび生産者直売の店をみつけて、

わさび漬けをお願いしました。見本の大きさが違うパックが置いてあり

それにその場で詰めてもらうシステム。

わさび漬け、お酒飲まなくてもおいしいよ。

一番小さなものは300円と手ごろなのに見ていたら、丁寧に詰めて、

丁寧に包装紙で包んでくれてありがたいなあ、

おいしいんだろうなあと想像が膨らむばかりでした。

バッグに詰めながらどこから来たのと話しかけてくださり、

すごいなあ、とおばちゃんしきりに感心してくださる、

あまりほめられることがないので照れてしまいますが正直うれしい。

正直対してすごくはないのですが、ここまで来たがんばりを

評価していただいたようでうれしい。身体が丈夫だからできることね、

気をつけてね、とお声もかけていただきしみました。

それから、国道をまた走ります。

海沿いの道

国道の走りにくさ、わかりますか?



道幅狭い割に交通量がやはり多くて…走りにくい。

昼前に同じような目的の観光客の車が同じようなところをめぐるのか

ほぼ一本しかない周回道路も混む。

ランチ食べたいなあと、こころは惹かれるけれど待ち時間考えると

ほぼそれはロスタイムなので時間さけず頭の中は到着してからの

シラス丼とか海鮮丼たべまくることで妄想いっぱい。

いまは辛抱、我慢のしどころ。

ちいさなバセラ峠漢字だと婆娑羅で、すごい名前だなと帰宅して

調べてみたらこんな言い伝え。谷川俊太郎も詩にしていましたね。

 

minwa.matsurino.com

峠手前に、まんじゅうの文字が。

しばらく海にバイバイするまえにハート形の湾

直売みたいな小屋だったので入りやすそう、躊躇したものの

コンビニしばらくないし、峠前だしと声をかけてみました。

おふくろまんじゅう

温かいですか?と聞いたら、さしだした三個入りを温かいのに

代えてくれそして今食べなと、出来立てを一個おまけに。

さらに熱いほうじ茶まで入れてくれました。

縁側に座って食べてお茶飲んでいたら。まるであれだ。

水戸黄門うっかり八兵衛の世界だなと、あたたかな気持ち。

いいね観光いいね自転車。

三個で確か250円、なかにあんこが入ったふんわりした蒸饅頭

恋人岬のあたりからは富士山がぽっかりと海の向こうの

さらに雲を携え浮かんで見えて幻想的。

土肥あたりでは、なまこ壁が普通の民家にいくつも残っていて

歴史を感じます。

金山もあったときては往時の栄はさぞかしだったのでしょうね。

ここまで登っては下っての繰り返しでしたが、

そこからはまたひたすらの登り、ゆっくりでもいい

登るだけです、最後のコンビニで少し休みながら補給。

去年ブルべで炭酸飲んでから吐き気止まらなくなって以来自転車時は封印していましたが原因が別にあったみたいだったので刺激に炭酸イン。



 

指を一本間違えそう、と走りながら練習してみました。

 

見えるかなあ



時間は15時、予定どおりでしたが、おそらく登って下る途中に

暗くなるでしょう。

ライトの電池のもちを調整しながらトンネルごとにつけていましたが

途中の旧道からは常時オン。

太陽が沈み始めていました、山に沈むと思ったら季節なのか

海の方に沈んだので意外でした。

朝日も海から上がり、夕日も海に沈むのを見るって自転車で旅行してて

いままで経験あったかな…。

不思議な感じを味わっていました、だんだん暗くなってきて

沈むなまだ待ってと願いつつも時間にお願いしても時間は平等、

峠に早く着くことを願う方が先かといやそれならば速度上げるべく

頑張ればいいんだというのは理屈で、頑張れないなかで頑張って

登ってだんだん暗くなってくるのを感じるばかりでした。

沈んでいく、峠までもう少し、待って…



下り坂が見えたのでここが峠らしきところなのかと、

下向き顔を前に上げたら目の前の薄暮の広い空とかやの広がる見通しの

いいなだらかな景色の向こうに道路がまっすぐくだりカーブ、

その足元にぽっかりと白くまん丸の月が浮かんでいました。

車も通らないので、灯りがただ月とぼくのライトそれだけ、

なんとも幻想的で漆黒の闇ではないことただありがたく下りはじめました。

西伊豆スカイライン、峠少し手前の標高表示

凍結路面は黒く輝いていたので渇いた部分のうちにブレーキ、

クリート外して転倒に備えます。反対車線が渇いていれば

反対側を下ったり時に歩いたり、寒さもまあありました、

そんなにひどくはなくそれより何かのときにブレーキで滑る可能性が

あるのでゆっくりゆっくり、ずっとブレーキかけっぱなし。

こんなに長くブレーキかけっぱなししたことたぶんない。

海から標高950メーターまで登りまた海まで戻ります。

下りはじめたら一気に暗くなってきました、ぎりぎりタイミング

夕日は落ちて、あとは月明り、凍っているのですが見えますか。

おそらくこの風景と体験は今後しばらく忘れることがないでしょう、

なにか達成感と不安と希望とまじった気持ちもあり、

感動ばかりではない経験が一体になったような気持でした。


降りた場所は戸田。最初の街灯をくぐった時にはまるでお帰りと言われ

たようなそんな安心感がありました。

そこから国道一号は外してすこし裏道を海岸沿いに新富士まで

今日の200k行程のエピローグ、平均時速がここまで18キロ台だったのを

少し底あげしたいなと

頑張りますがまあ、たかが知れています。

気楽に流しながらだれも居ない工業地帯を通過、あと1キロですが?

駅なんてあるの?真っ暗なんですけど、と思ったらいきなり駅登場。

新花巻ほどじゃないけど、小さな新幹線の駅でした。

20時すぎくらい、そして、楽しみにしていた夕ご飯を食べるぞと

思ったら23時までやっているはずの店が20時半目の前で終了

えっと…終わりですか?と聞いてしまいました。

静岡おでんなるもの食べられたので満足1250円

しかたなく駅中の居酒屋でおでんと親子丼。

おでんは1250円って高い。

でも食べたことないものを食べられたからよかったかな、

静岡おでんってなにかよくわからない出汁でしたけど具がでかくて

おいしかった。

新幹線の切符、えきねっとで買ったやつくださいと窓口で言ったら

ここでは買えない券売機でどうぞと言われ、じゃあと

えきねっとログインしようとしたものの、手間取っていたら

駅員さんがわざわざ券売機の前でここ押して、ひひにかざしてもう少し

離して、と丁寧に教えてくれた。

…。

助かったけど…ちよっと微妙な気持ちに。

それにしても電車のるのも久しぶりなら新幹線なんて数年に一度

最近は自転車で出かけた時しか乗らないので、いつも不安と

喜びのはざま。

こだま

輪行荷物都合で指定席でしたが必要ないくらい空いていました、

やり切ったなあ、と無事をひとりかみしめていました。

輪行袋は大荷物ではないので予約必要ないらしいけど時に知らない人の荷物が足元にあることになるの?

今年の正月走れてよかった、7万円くらい、ずいぶん費用かかって

しまったけれど。身体も維持できて、ゆっくりというのもあるけど

どこも痛みでなかったしそんなに疲れを感じなくなってよかった。

でもここには予約なしでだれでもどうぞと書いてあるしよくわからない。



あ、ちょっと硬めのパッドのビブでしたがバッドの端がすれて

赤くにじんでしまった。帰ったらメンソレータム塗らなきゃ。

走っているときはもう2度といやだこんなとこ特に交通量と

道路の狭さとうしろからのプレッシャーがと思ったし気持ち的にも

2度と訪れることのない場所だと思いながら走っていたけれど


終えてみて、さらに1週間たってみると、あの経験がぼくを

暖かく照らしてくれます。

また行きたい、坂にしてもぜんぜんきつくなかったと、

思い始めていて勘違いだと思いなおそうとしても、

また行きたいと心が言うことを聞きません。

それにしても帰宅後走った道の情報を見ていたら、

西伊豆スカイライン

降雪でチェーン規制がかかったとか、1日遅かったら危なかった。


ぎりぎりの正月の自転車旅、ほんとに無事でなによりでした。

いちおう伊豆一周、いきたいとこ行ける体力があることがうれしい。

 

 

 

正月サイクリング旅、一日目

さてと、お正月のお休み旅行から帰宅しまして
書かなきゃと、メモ帳を立ち上げたところ、
なにから書きましょうか。

伊豆に行きまして、目的というのは特になく
お正月に自転車で走りたいけど(衰え防止のため)
この東北では凍結、積雪でちょっと無理、それで
コロナ前に、八丈島、三浦海岸まで行ったなあ
それじゃ今年は、鎌倉あたりから湘南を走ってみようか、
交通量からして走りたくないけど。
そして宿泊地は熱川の国民宿舎(安い、単身でも泊まれる)に決めたので
夕食に間に合うよう200キロ走るとして逆算でスタート地点を決めました。

タイムズで駐車場予約をして、駅ネットでチケットを買い、
宿も予約して、もう準備万端、そして日程が近づくにつれ
どきどきしてきました、何時出発するというところから。
高速で五時間はかかる、自転車スタートが朝五時とすると…。
そしてETCだと個人カード契約なのですが金額が一万越えるので
会社経費にできないかななんてこれはこちらの都合ですが。
東海道新幹線輪行袋は場所に予約必要なんだっけ?
それに地下鉄乗ったことないし、切符でいいんだよね?
なんとかカードでなくて乗れるよねとかもう不安だらけ。


とまあこんなこと書いていると全然スタートできないので
とにかく文の中でも歩をすすめますが、結局一睡もできないまま
あさ四時半スタートしました。
気温は2℃ほどですが寒くないような、刺すような痛みはありません。
ウール一枚シャツと防風インナーとアウターだけでちょうどいい。
ケイデンスあげ気味でいくか、でも坂ばかりです。
はてなく続く住宅地を地味に上り下っていったい自分はどこでなにしているのやら。
と思い始めたころ平地に出て、視界が広がったと思ったら鎌倉でした。
なんとなく「こころもちいい」とこだと感じます。

海岸沿い、交通量も増えてきました、空も白み始めてきました。
30年前と変わったような変わっていないような。
自転車で見る風景はやはり車で走った時とは違うようです。
以前いっとき江の島近くに住んでいた、というか住もうとしていたときがありました。

江の島から夜明け

 


むちうち後遺症で仕事ができず、すぐやめることになったので一週間ちょっとだけでしたけれど
江の島のそんなあのときの心や体の痛みを思い起こさせます。
今こうして再度くるとは。

国道一号は走りたくないけどほかにルートがないので仕方なく、走りますが
仕事で二宮に毎日来ていたり、二宮に住んでいたり、お付き合いしていた
片が小田原あたりに住んでいたりと、ちょっと思いであります。
なぞることもないけど、ただ考えにふけます、
思い出はあくまでもそのときの思い出に過ぎない
あのころの。いまは今だとそんなふうな。
魚がおいしい町でしたね。
ここも思うと事業立ち上げようとして失敗をしたので心が痛いです。
箱根に関連すること思い出すとぜんぶダメだったことばかり。

坂道君が落車した交差点を過ぎて、早川口へ、そして箱根の旧道へ向かいます。
箱根に登る道は、いくつかあるのですが自転車で通れるのは国道一号と旧道だけ。
実は旧道の存在はこの計画の中で調べていて知りました。
国道一号は高校生の時伊良湖岬に自転車で行ったとき通ったので
別に同じことしなくてもと、旧道にしました、事前調査によると
きつくて前輪が浮くというひとがいたのでえー…と例の坂を思い出して
いやーな気持ちでいました、まだ足の痛みがあるのでそんなに序盤から頑張ったら
明日走れなくなっちゃう…とその辺はもう若くないので考えながらです。
あと心配は凍結してないかと。

プランではいくつかエスケープの支度はしてきました、
で思うのはやはりこのチャンスは一回しかない、もう二度と来ないだろうという気持ちなので
いけるとこまで行こうと、多少の危惧があっても、無理はせず乗り越えられるならと。
でもだめなときは引き返そう、いままでなんども凍結で転倒して骨折しなかったのは
ただ運がよかった
転び方タイミング、あたりどころがよかっただけ。

序盤はうーん、ちょっときつい…あとトイレ行きたい
たぶんセグメントだろうけど、もともと足をかばっての走りなのでパワーあげていないので
別にいいか、と思うといきなり我慢できなくなって、立ち…できるとこ探したら
ちょうど道路沿いに公衆トイレがなんとグッドタイミングで感激。
車寄せがあるわけでもないのであまり利用する人いなさそうな小屋。

すっきりしてさらに上ります、パワーあげてないのでとくにきついとかなくて
淡々と、坂の斜度は山形蔵王の序盤か、高湯くらいな感じで折り返しながら高度をあげて行きます。
だんだん寒くなってきて、視界が開け、箱根旧道が山の中にのびていくところと交差したり
甘酒茶屋と書いてある、いい香りがする古いたたずまいのお店をすぎて
ふっと下りになりました、芦ノ湖まで確か下りですが、ルート200キロで引いた都合
信号までいって戻り少し登り返して下りの途中甘酒茶屋でやすみます。
コンビニばかりじゃ味気ないし、なにより身体が冷えていました。

甘酒以外はお餅とかくらいしかなかったようなメニュー。
ちょっとわくわくどきどきしながら待ちました。
一口飲んだら、いやーあ、すごい、甘さがくどくなくてさわやかでこくがあって
ひとことで言うといままで飲んだ甘酒の中でダントツにおいしい甘酒でした。

ほうじ茶と漬物つき>



熱くてしみるのでぷはーと声だしそうになるのを抑えるの苦しかった。
ものすごくおいしかった、麹は自家製かな、なにが違うんだろう、
丁寧に米のつふつぶもつぶしてある甘酒でした。

これなんだろ?エンゾ早川ってこんなの作ってるのね。

下りは凍結が怖くてゆっくりゆっくり。
早川まで戻りまた新たに道を西にたどります。
箱根からうえは自転車通行できるかどうわからなかったのと
なにより凍結が怖くて、いったん湯河原迄進んでからまた気のなっていた道を上ります、
椿ライン。
ここも35年くらい前に住みたいと思ったりしました。
湯河原の豆腐屋さんの生湯葉がおいしくて東京からわざわざ買いに行ったりね。
そのとき車であちこち走り回るのが趣味だったので、椿ラインぶっ飛ばしたいなと、
でもかなわず、そのままだったのをふと思い出して、いまなら下りに使うより
登りだな…ということでまた箱根あたりまで上ります。

ルート引いてるとき疑問に思わないかな、きついとはなんでわざわざ下る道を上るのかと
自分嫌にならないかなと思ったのですが上っているときぜんぜん気になりませんでした
というか忘れてた、も口器は上に行くことなのでそのあとどこに下ろうがどうでもいい感じで。
あと、この時間暖かくなってきて、車も十分に一台ほどしか来ず
斜度も緩いので(6%くらい)うとうと居眠りしながら登っていたので
前半ほぼ意識も記憶もないんです。ただ眠かった、パワーは120ワットとかそんな程度。

でね、ここ長かった…もういやになるほど長くて。
登り切った時の達成感と言ったら…といいたいけど、
ほっとしたということ以外なにも。

レストハウスはありますが、ベンチで幸せ。



景色は上っているとき海側はよく見えました、ずいぶん下に今来たところが。
うんざりするほどかなたに。
パンをひとつかじって出発、ここのくだりは南側だけあって凍結の恐れ少ないけれど
それでも気温は低く、上のほうは凍っていたので慎重に。
標高は900メーターくらい。

ここもいったんまた湯河原までおりたあと、今度はいきなり急峻な坂を
熱海に向けて上ります、序盤の一部だけかと思ったら
まがっても曲がっても、急坂、直線になったのでふと見上げたら
さらに急になって、ここ登れるりかという恐れが頭をもたげて
いや行くしかないとのんびりから、頑張りモードに。
なんとか息をきらしながら一キロ?ニキロ?ほどがんばって
ふう、でもまだ急…。
やっと峠抜けて下ったら、今度はさらに急な下りで
ブレーキかけているのに加速していくという、そして90度カーブ、
怖かった…。

で、なんだここ家が半分ないぞ?と思ったら、
いつかの土石流の起きた場所でした、ずいぶん流されて
そりゃあ急だものここ、こんな谷に沿ってよく家立っていると思える場所です。写真は撮れませんね。以前島原に住んでいて観光客が土石流に埋もれた家の瓦屋根に足を乗せて写真撮っているの見てはむかむかしてました。

ここでもう足も時間も気力も使い切って考えてみると
時間が予定より一時間おしていました。
下りもスピード出せないし、
このままでは夕ご飯に間に合わない…。

頭の中でもうルートを思い起こして、うねうねした山沿いや海沿いを走る道はカットして
その後はルートをカット、オール国道戦略を取りました。

熱海はいまだに結構にぎわっていますね、
人通りは少ないけれど、車が多い。


伊東に行くならハトヤハトヤに行こう、
ハトヤはよいふろ4126
のすこし古ぼけたハトヤを横目に見て時代の変遷を知ります。

それにしても走りにくい。道幅せまいのに、
いや狭いからか、イエローセンターラインにしてさらに
大きなタイプのキャットアイ
車が乗り上げて追い越しできないのでこっちに寄せてくるし
下手な車は、対向車いると追い越しできない
臆病な人は対向車側に寄せられずこっちに寄せてくるので
怖い。

観光地の正月モードだけあって、抜くときスピードを落としてくれるので
よせられてもわざと感がないのが救い。
ただ、こっちも後ろから大型やバスが抜くのに難儀していたら左によけて抜かせてあげたら
あとからぞろぞろ延々車が途切れない経験を二度ほどしたら、
抜かせてあげたのいけど、あとが大変なのでプレッシャーもなかなか我慢。


15分おくれで到着、宿泊客はほかに二組ほどだけ。
ゆっくり温泉に入りお魚の食事もいただき
アレグラ飲んで、音楽聴いていたら、八時ころ気を失うみたいに
ふっと寝てました。
徹夜だもの、よくがんばったし、よく登れました。
あしたも頑張ってね、ありがとう脚、とマッサージしてもみほぐしながら
さほど痛みが出ていないことに感謝しました。
無理しなければまだいけるみたい。

ザ、伊豆の風景。急斜面と海とみかん。

ミッション達成


たまちゃんどうしているかな…。





 

大晦日から初夢まで

新年あけましておめでとうございます。

と、いいつつ、ぼく自身全く新年の意識がないのです。

だれにも会わず、新聞テレビラジオマスコミにも触れずなので

新年という概念だけでものを語っています。

 

今年ぼくの目標はアーティストであること。

おおむね人はトシ重ねると自己の生きてきた過去の好みを

「こだわり」として形成しそれをオリジナリティー

小さく勘違いして小さなそこから出ようとしない塊になるようで、

男女とも付き合いにくくてしょうがない同世代が増えてきます。

 

惹かれるものがあるひとと付き合いたいので、

ひいては自分もそういうひとになりたいです。

 

年賀状は二日ですか?郵便配達が休みになった時点で終わりましたね。

お祭りを主催したひとが降りお祭りではなくなりました、

それでふっとみんな冷めましたね、踊らされていたことに。

 

おせちは、売り始めた40年前くらいですか?

その時点から終わりに向かいましたね。意味を失いました。

あとは静かに無くなる着地点へと。

いまは高級品か格安品が人気みたいですね。

イタリア風とか、洋風とかもはやどうでもいいです。

 

そういえば夏の盆踊り、

それも市内のひとの話によると、ヘッドホンでやっているのだとか、

数年前近所の人たちからうるさいと苦情が来たから、

それでもやりたいということからヘッドホンをつけてみんなで踊ると。

つけてない人にはただの奇異な動きです。

共有という体験を失ったこれもまた意味をなさない、

いずれ終了へ向かう道でしょう。

そして始まるものは、相容れない価値観を排除する動き。

 

めんどくさい、自分はそういうとこからは一線を引きます。

それにかかわるより違うところでなにを育てたい

こだわりに執着する様々な人たちに別れを告げつつ

静かにいたいと思うのです。

 

静かな年明けです。

自転車では、毎年12月は仕事が忙しく1月は雪があり

ほとんど乗れないので、遠方へでかけて少し乗る程度でしたが

今年は近所に大晦日元日の二日間雪がなかったので少し乗れました。

がた落ちだったので乗り始め五分でおしりが痛くなったりしましたが

なんとか以前のパフォーマンスはさほど落ちてはいないようでした。

スポーツではよく言われるすこししないだけで劣化するという

ことは、そんなになくて、長い間育てた経験や筋肉は裏切らないという

のを感じられたのがうれしかったです。

 

すこしがんばればまた取り戻せるでしょう。

ぼくは無理して怪我をしないようにするだけです。

 

今日は雪が積もったので家で仕事したりスマホの設定して

過ごしました。初夢は腰が痛く移動の手間を惜しんだために

100kgの人参を腐らせたという内容でした。

さんざんですが胸に痛いです。

 

やらねばと思ったらやろう。

やりたいと思う意欲を奮い立たせよう。

 

一年の終わりに。

年末、ちょっと調べ物をする中で、「巧遅拙速」という

言葉があるということを知りました。みんな大好き、四文字熟語。

巧遅拙速こうちせっそく→ネットから引用

【上手で遅いよりも、下手でも速い方がいいということで

孫子の兵法」に由来。孫子の兵法のひとつで

「巧遅は拙速に如かず」の略】とのこと。

でも雑でも速い方がいいというのは、どうもこの言葉は

でもちょっと違和感。たとえば職人なら、素人の雑な仕事は

後で修正するのがむしろ大変で、最初から自分で直した方が

いいとは思うだろうし、プログラムでもバグをみつけ、

修正するより新たに作り直す方が簡単だと思います。

そんなことんら日本では丁寧に間違いなく相手のことを思い…

とやたら腰が重くなることが珍重されるのですが、

いっぽう大陸の中国では、中国製品、特に小物の

エレクトロニクス商品を買った方なら共通する思いがあると思います、

とにかく製品化スピードが速い、そして拙い、寿命もはかない。

けどもしかすると進化の早いものに於いては、

それでいいような気もします、
不観戦でも世に出して購入してもらいクラウドファンディングのごとく

売れた金額を次の制作資金に回すという、以前の日本は

欧米に追い付け追い越せで、まさにそうでした。


戦後、何もなかったからとりあえずできることから始めた

それはものまねから。若いエネルギーがしたことのないことに

チャレンジ。そしてものにした、形にした。けれどいまは成熟し、

それではだめだ、できっこないという経験がものをいう時代、

企業も成熟して、大人になった。重厚になり、だんだんと

ヒットするとわかっているような、どこからもミスを指摘されない

いいものしか出さなくなりなり、製品はおとなしくなり、魅力も

薄れてきました。役所か、と突っ込みたくなりますが企業とともに

日本は年取ってきたような気がします。


冒険ができなくなったんですね、そのなかで働く若者は

どう感じているんでしょう、戦後は若者が自由にしたいことできた、

なにもなかったから。不完全てもとりあえず手をつける、若さ、

思いつきでよかれでできた。いまは若さでは未来が見えない

閉塞な時代。

今年2023年、企業に属さない個人はつぶれずチャレンジできるような

時代ではあってほしい。


せめて、アーティストだけは元気でいてほしいと思います、

願えるなら自分も人生に於いてはアーティストでありたいと思います。

 

一年間ありがとうございました、

来年もよろしくお願いします。