7月から8月に暦がかわるこの時期に
思い出す ひとりのひと。
山で 23歳でなくなりました、暑い夏でした。
彼のことは、遺品整理のときのまま時間がとまっています
いまでも、思うと涙がでます
日々すべて意識から山に真剣にむきあう姿がありました。
大学卒業後、山に登るために山の先輩の花屋さんに勤めて
あのまま、おとなになっていたらその後どんな人生が待っていたでしょうか。
ひとつしか違わないのに随分おとなでまぶしくみえていました。
そしてさきに 随分さきに 逝ってしまいました。
なにか いつもこの人にはかなわないものを感じさせ、
このひとの前では素直になれる自分がいました。
山岳部の部室に初めて行ったとき、ニコニコして向かい入れてくれました。
このひとがいる部なら大丈夫、山に向かうきっかけをくれたひとでした。
思い出す、ことはいくつかありますが、初めて、彼のうちに出かけたとき
東中野の駅からどうやって行くのか、あいまいなまま、向かって
まあ何とかなるだろう、と思ったら迷ってしまい
そのまま、40分くらいしてどこかの道の公衆電話で、電話をかけても
誰も出ない、
と、道路の反対側から、○○○くーん?とよぶひとがいます。
下駄で、おじさん、だれ?なぜあなたがぼくの名前を?
と、呼ばれるまま、向かってよく話を聞くと、そのひとはお父さんで
ふたりで、探しに出かけたそうな、
そして、ぼくの特徴は?と彼に聞くと、みるとわかる
みるからに○○○(名前)っていう感じだから、と
それでわかった、じゃあ、といって出かけるお父さんもお父さんですが
ほんとに見つけてくれたのもすごい。
でもなんでわかったんだろう、
と聞くと、うーんなんとなく、だとおっしゃって。
…そんなあのときのこと
ネタに笑ったのは一度だけでしたね。
また笑いたいけど できないのがさびしいのです。
いろんなことに深く造詣があり
たぶんあのときいちばん好きな人でした。
もうあれからずいぶん経ってとうにあなたの年も
あなたの、お父さんの年も越えてしまって
一度は、穂高にいかなくてはと思いながら
まだ、行けずにいます。