うさぎとピクニック

うさぎと、自転車、田舎での日々

勝手なつぶやき

もやもや


不安定な、蓮の葉の上に座っているみたいな日々。
どうにも落ち着かず、情報を知りたいような知らなくていいような。
レースにしても中止、延期決定、というのも出てきました
一方募集はしているが先行き不明というのもあり
なんだかそれでは申し込めないではないか…。

まあレースだけではなくてね。
実は日本って全然余裕なかった、自分だけが
ぎりぎりなのじゃなくて、というのが露呈してしまったみたいいな
寂しさがね。
だからもろさが伝搬して、鎖が切れてしまったような、
危ういところにいる気がします。
正直、そういった意味では自転車どころではないのだけれど
自転車以外に確かなものが今のところなくて。
努力した人がいちばん速いということに間違いはない、
自分が努力しているかというとそうではないのだけれど、
だらだら生きてはいない、こと自転車においては。

仕事では、悲しいことばかりなのでもう頑張れない感じ。
出会いと別れの繰り返しにこころがつぶれかけていて、
期待され応えられず、信じて裏切られという風に言い換えられるかな。


そうだ、もやもやついでにもう一度改めていおうかな。
貧脚という言葉が嫌いだって。

言われるのは悪口として、受け止めるのにやぶさかではないですが
自分で言うのは、なんでしょう、
違和感しかないです。
それを言ったから、なんなの?という。

同じ文字を用いる貧乏とはまったく違います。
貧乏には甘受とあわれみがありますが、
「貧脚」にはありません。
速く走れる能力がある自分や道具なのに、
そこに自分をもちあげることはせず、
低いとこに自分の立ち位置を決めた言葉を用いるのは
努力しているひとはなんなの、とも思います。
ぼくは決して貧脚とは口が裂けても言いません、
すべてにおいてそこそこで、タイムもそこそこですが
貧脚ではありません、でないとレースなど出られません。
負けないぞという気概がない人と一緒走ることなんてできないです。
けれど貧脚と自ら言う人に負けます。
なんでしょうね。
どういうつもりなのか、つまりそういう人の気持がわからない、
考えていることが違う人とは話したくないと思うわけで、
ましてや玉を懐に隠し持っているようなお方とは。

 

ただ、いろんな乗り方があります、ほんとに遅い人、自分はそれでいいんだと
あきらめてのんびり走っている人は申告しているんでしょうから、
それはそれでいいんですが、少なくともレースに出るような方は
黙って努力すべきだし、口にしてほしくない言葉ですね、
それを聞いて、好意時に受け取る人がいるんでしょうか

 

面白い考察している方のブログを興味持ってみていますが
リザルト見ると、ほう、と思うことが多いです。
速いんですよ、そういう人ってやはり速いものです。
けど残念ながら、貧脚と書いている人がやはりその中にもいるもので
ちよっとね。
自分より速い人からなにか「技」「知識」機材は無理にしても「工夫」など
やはりある程度の敬意をもって真似したい思うのに。

なにか一気に興ざめしてしまう言葉、「貧脚なので」

ふざけんな、です。