裏が表に表が裏に
表が表面だけ裏の真似をしてもうまくいかないやるなら
裏としてきっちりやらないと。
営業自粛要請に応じないパチンコ屋の名前を公表する
というのはやりすぎ、自粛要請にしか過ぎないのに。
そしてマスコミで流すということも意図した流布。
その結果、罵詈雑言のクレームが当施設に入り閉店に追い込まれるというのは
マスコミによる暴力でありいじめ構造だと思うフェアじゃない。
同時に公務員に10万を支給されるのはおかしいという声も
どうかと思う、痛み分けでいいじゃないか。
だれがどうしたとか、もらう資格とかだれかが決め始めたらおかしなことになる。
浅ましさしか感じない。
こんなこと言っても、だれも理解してくれないだろうから
日常の中では誰とも言葉を交わさずだまっているわけで。
ニュースなんかだから見たくない。
ちょっとつければ、すぐに言葉がいやな意思をもって
自分の中に飛び込んでくる。
最近田舎暮らしをしていてよかったと本当に思っている、
収入は東京にいたときの1/3くらいになってしまったけれど。
そういえば、前沢何某というひとがいわく、もし自分だったら
「借りれるだけ借りて新しい事業を立ち上げる。そしてうまく行かなかったら
あとはトンズラ」とか
うーん、事業家としてたくさん投資できるならそれもありかもしれないけど
商店主という前提で自分ならすぐにいったん閉店しますね。
クラウドファンティングや Twitter での SOS などは延命処置にしか過ぎない
そして時期が来たら改めて同じ名前で出直します。
そうでないと出ていくばかり、無駄にはあがかない。
多角化はうまく行っている時に準備すべきもの。
うまく行かないときには、いったん手放し
出ていくものを減らすしかないと思う。
そしていつ自分の身に降りかかるか、です。
そんな自分の座右の銘は、漂えど沈まず
これで、数十年いきてこれました。
なにかのときには、縛るなにかを手放し自由にいったんなることです。