うさぎとピクニック

うさぎと、自転車、田舎での日々

勝手なつぶやき

みつからないみつからない

 整頓は一応しているつもりです、でも足元がすぐ散らかります。
その理由は、
なにかをしている途中になにかを思い付き
その何かに気をとられて、最初の何かを途中でやめたことを忘れ
二番目にはじめたことをしている最中違うことを思い出し、そっちを先に、

やがて大仕事したような気になってどっと疲れる、
途中でやめたことは、途中からまた始めるけど…なにか途中のまま
そのまま息絶えることも多々。

けど、片付けができないわけでなくてですね、
これはこっち、これはあっちと分けて置くようにしているです。
なのにだんだん足元がなくなっていくのですね。
やがてかたつけたはずのあれはどこにあったっけと、そのうち自分で
置いた場所がわからなくなり探し物ばかり。


でもね、いまよく言う断捨離とか、ときめくときめかないとか、
その世界にはちょっと拒否感があるのですよ。
ここは、捨てられるモノの視線で
言いたいのですが、買って手元にあるのに、所有したらその後
必要とされないなら、作る人、ひいてはものを作り
流通する社会の中で存在するような自分(ぼく)がいらないんじゃと
感じてしまうのは、底辺の発想でしょうか。

コロナでも自粛して困らないひとと、自粛したら
死ぬしかないぎりぎりのひとたちがいます。
余裕ある人は、ぎりぎりの生活を知りません。
おそらく想像もできない、そこをなくても困らないと切り捨てる発想には
違和感を感じて、ぼくはますます捨てられない。


まだ使えるのに捨てるの。それって悪いことではないの?
なんで捨てるのに買うの?捨てて断捨離したとどうしていいことしたみたいに
言えるの?。わからない。

大事なものは増やさないほうがいいとだけ思う。
それって買うものじゃないしモノでもない。
手元に置くことで思いだったりともに過ごした時間だったり
育てて、振り返るものだと思う。


さよならぼくのともだち