あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
いろいろ世間的に騒がしい去年でした
今年ははなにか良い方向に変わるでしょうか
でも、良くなる要素がなにかあるのでしょうか。
たしか、20年前同僚に来年景気が良くなるか、ということを聞かれた
とき、同じことを答えたなあと、ふと今思い出しました。
悲観主義者ではないのですが、冷静に状況をみなくてはと思います。
どうもGOToもオリンピックもカンフル剤のようで
そのあと状況は変わらずただ悪いことを引き延ばすだけのような
そんな気がします。
いっぽう今の自分はというといろいろやる気が出なくて。
コロナを横目にいろいろとごまかしながら
やっている日々のなか、いろんな不安がたまるばかり。
病気や怪我したらどうなるんだろうな
突然収入が、なくなったらどうしたらいいんだろうな。
いろいろと覚悟をしないとと思いつつ、
年をまたいでしまった弱い自分。
正月はコロナで巣ごもりとか自粛とかいうのではなく、
ただの引きこもりで過ごしています。
もともと人と会いたくないし、なにか人に指図されたり
批判されたりがとても嫌なので、そういうようにならないように
そしてそういう場面を避けるように。
ひとは生まれてから、ただ与えられたた環境の中で行きますが
あるときそこで生きる理由を探しはじめるときがくるように思います。
それが自我の目覚めかな。
親や教師はそのときまでにいていいという安心と生きていく自信をつけさせてあげることが役目としてあるような気がしますし、それが大人の生きる理由であるんでしょう。
けど、自分には両方ないので、もともとやる気などなかったのかもしれない。
それとも年を取ったのかな、
いつから、不安になりはじめたのか、
ただしたいという気持ちだけで頑張れたのは、先に希望があったからでしょうね。
役割終えたのかな。
社会的に不要だと言われたかのような定年を迎えた同世代にはそこら
わかってくださる方もいるかもしれないな。
と、書きおこうとして思い出したことがひとつ。
20年くらい前のサラリーマンだったころ、「いつか店とかなにかするのなら
そのとき出資するよ」と、なんの脈絡もなく言ってくれた年上の同僚がいました。
その人地域の不登校児童の親の会を主宰していたっけ。
なんにせよ、いきなりだったので、自分としてはよく意味が分からず
そっか、ラーメン屋とかという道もあるんだなあと、漠然と思っただけですが
そのあと務めた会社で社長に、退職という話をしたとき
「会社の二階を貸すからなにかそこでやれと、それもまたいきなり。
そのかわりきちんと家賃は安くするけど払えよ」と、
まあ社長氏としては、単に空いた空間を有効利用したかったのか
社内ベンチャーをさせたかったのかわかりませんし実際借りはしませんでしたが
そのとき、そっか自分で独立してやるという道があるんだと、
そのとき、少し力強く思ったのを覚えていて社長が
ぼくが独立できるほど、勇気や力や能力があると、
認めてくれたことが嬉しくその後の自信になりました、社長には感謝しています
実際会社はこの時が最後で、あとは今の仕事を自分で始めました。
つらつら弱音を吐きながら、再びやる気になるのを
ずっと待っているのですがなかなか…失敗体験というのは
かくに尾を引くものだと。
そろそろ未来は、希望の端を見せてくれたらとも思うのです。
単に自分のやる気につながるなにかを待っているような。
待っていてもしょうがないよね。
明日また現実逃避してきます。