うさぎとピクニック

うさぎと、自転車、田舎での日々

勝手なつぶやき

日々冒険とバイト

なかなかしたいと思っていることの半分もできないもんだなぁ色々


その中でしたいと思った一番てっぺんに行こうとするのが

冒険家なんだろうな、

以前見聞きした話によると、できるできたことをつなぎ可能性を

広げていったとき、年齢による43歳だかの壁があって

そこから先は肉体の方が思うよりも劣化しているから

それに気付かず経験による可能性を広げた時にできると思ったことが

できなくなると。だから冒険家の遭難は43歳が多いと。

president.jp

で。話につながりはないのですが、「しなくてはならないことがあるうちは人間は案外死なないものだ」と、とある漫画のなかでの言葉を

思い出したりしてます。

いま本業のほかに毎日バイトをしていてバイト先では

社員も含めなんと最年長。

ぼくは女性バイト二人が片付けたトラックを移動する係。

バイト先ではあまり人と関わらないようにしています。

しょせんバイトなのでただたんたんとこなしているというか。

もちろん作業的に嫌だとは思わないし、

積極的に手を伸ばしてあちこちに動いているので

各所から信頼されていると思っています。

仕事の読みをして先を先をと仕事を回していたら

だいぶ認められるようになってきたのを感じるんですね。

責任はないですがなにか毎日の目的をもって、やっていれば刺激になり

週末の目的をもって毎日生きています。


昔からぼくは、その場のルール基準がよくわからないんですよ。

からしゃべるのとか、場のなかに溶け込むのがすごく苦手で。

そんなとき最近になってようやくつかんできたのが、自分で

ルールやルーティンを、つくるとということ。

そうするとわかりやすいんですよ、仕組みが。

社会ではそれをこだわりと呼び、あまりよくないことなんですけど。

でも迷ってなにもしないより自分なりの形で前に進むのにむしろ

小さなそういう基準があればひともそれを認めざるを得ないもの。


なにか決めると自分で迷わなくなるし覚えることも減るし

一瞬のイレギュラーがあっても瞬時に判断できます。道しるべは自分。

 

例えば、人とはあまり話したくないこっちも疲れるし

あちこち都度の挨拶もめんどくさい。だれかと合わせるたび

お疲れ様だとか、おはようございますとか、この人とは

さっき会ったとか、こいつ返事しないから嫌いだとか、

いちいち考えるのめんどくさいし傷つくんですよ、いろいろと。

たかが挨拶でも、

こっちからしないと挨拶しない人とかしても返さないとか。

面倒なことはよそに置いておきたい。負の感情となればなおね。


そんなことで左右されて、関わりたくないので、むしろだから

なんも考えず挨拶だけする。とかそういうこだわりかな。

ひとを見てるとそういうこだわりはその人を理解する一助にもなりますね。

 

ということは自分のそういう行動も人に理解される道具になっているんだろうなと。

昔は、理解できないひとで通っていました、変人と言われました。

いまは、〇〇さん(ぼく)は寝坊するなんて意外、とか言われます。

意外も何も…と思いますが、そうみられているのなら

まあそれでいいかと。

世間を広げず、その場のみのできることすべきことをやっているのは

自分の可能性をせばめていることで、自分の過去の興味とは

逆行しているのだけれど、なんだか楽だなあと思ったりしています。

以前は苦痛でできなかったな、毎日おんなじことなんて。