山形に出かけてきました。
米沢と飯豊。ときどき、戻りたくなる場所。
どんぞこ、な傷みを抱え東京から越してきて
山形に移り住んだのは、もう、14年まえのこと。
中津川の今の時期が一番好きで。
この時期いつも、ここに。
ここの側溝のせせらぎの音を背景に車を止めて
本を読んだり昼寝をしたりして過ごした春。
そぞろあるく。
水が坂を下って流れる音。
左の耳では、その先のゆるやかなちゃぽちゃぽという音。
ゆっくり歩く。音も動く。
ゆっくり歩いているのに、追い越されていく
あるいは止まった、瞬間の長さを感じる。
一歩歩くと一歩遠のき、
一歩地近づく未来の音。
いろんな音の、好きな場所で立ち止まり、耳を澄ます。
緩んだ水のこの音は、この時期、
また生きることを許されたものたちへの祝杯。
そして、いっせいのせ、で
地面から飛び出す植物たちも
全身のエネルギーをもって大地の上で共演する。
静かに賑やかな雪国の春。
毎年、同じような場所に、同じように
顔をのぞかせる、植物のエネルギーはある年齢を超えたものにとっては、
知己の友人との会話のような、大切なチカラをもたらせてくれる。
山菜は、食べてデトックスとか言うものではなく
大地を探して、全身で感じふれるものだと思う。