うさぎとピクニック

うさぎと、自転車、田舎での日々

勝手なつぶやき

自動車運転免許の番号って
意味があるんですがご存知ですか。
途中はまあ省きますが、
そのなかの最後の番号は再発行の回数。
ぼくは1で、それは一回紛失したって言うこと。

でも、ほんとは失くしたんじゃなく
盗られたんです。
自宅の車庫においた
車の中に忘れて、22時くらい、遅い夜だったので
真っ暗だし、忘れたのに気がつかず
いつもの癖で、癖と言うか
ロックをしないで、すぐ脇の玄関から家に入ったのですが
翌朝、出勤しようとしたら、ドアが半ドアになっていて、
ご丁寧に室内灯がオフになっていて、
ついでに財布も、小物入れの小銭も、なくなっていました。

ショックでしたね。
盗られたことというより
一番どん詰まりのこんな場所に
わざわざくるんだという、場所しかも自宅の車庫に。

油断してロックしなかったわけではなく
したくなかったんですよね。
疑うみたいで。
もともとなんか人に対し恐怖感みたいなものがあって
あまり好きではないのに
疑いたくないというのは矛盾しているんですが。
鍵穴壊しというのも経験したともあるけれど
壊されたくないからロックしないという論理はあまりないので
多分、その前だったような、東京での話し。

で、懲りないで
その10年後に今度は山形の田舎の図書館の駐車場に置いた車の中から
買ったばかりの、男性用ヘアムースとなんかを
盗られまして。

ほかに買ったものは車の中に散らばって
放置で、なんでそれだけって言う感じ。
このときもちょっとだしと、ロックせず。

車から盗られたのはその二回で、で
仙台のいまも、またよく考えると
夜あまりロックしていない。
ETCカードとかカメラとか乗っているから
あまりよくないとは思ってたまに思いつくとロックするけれど
なんか、どっかで信じていたい気持ちがあって。

盗られたら自分が悪いんで
ほんとに大事なお金とか、カードとかはさすがに
入れて置かないですけど…
たぶん、変わらないです、自分。

たぶん、人が怖いぼくの信じたいとしてあけてある
逃げ道なんでしょう。
人が平気になったら、ロックする気がします。

たぶんです。

でもね、ロックしなくていい社会だったらいいなって
本気で思うんです。
いつから、社会こんなに窮屈で
つまらなくなってきたんだろうな。

山形で住んでいた家は鍵自体なかった。
いまもアパートに鍵してない。

放火されたら、こわいけど自分から
なんだか窮屈にしたくないんです。

間の空間を大事に緩やかにしていたい。

そのくせ、こころに鍵してるような気がするけど
そこに1とか0の番号はないので
多分、いつでも変えられるんです。

だからいいとか、
悪いとかということもないいうところのこと。