うさぎとピクニック

うさぎと、自転車、田舎での日々

勝手なつぶやき

ゆるしあう

「すべては幻想である」
という、岸田秀の哲学に
すがりたいとき

自分の中で死んだことにしている

父親に電話をする
ほんとうに久しぶりに。

いくつだっけと
父親に年を聞く。
おそらく、むこうもぼくの年は
知ってはいない、
聞かれることもない。

父親は昭和一桁世代。
奄美大島からひとりトウキョウに出てきて
数十年。

そしてトウキョウで出会った母親との間に
生まれた、ぼくとの間にも想像以上の
隔絶の年月が流れた、
もういいかなと思う。

自分が受けたことは忘れないけれど
ぼくも父親の血を引き
同じようなことで怒ったり
人に迷惑をかけたり。
ただ思いを理解されたいだけなんだろう。

もう、いい。そのひとを許さなければ
自分のもまた許されない。

このごろ、夜、部屋がかたついていないこともあり
テレビもパソコンも
音楽もあまり恵まれた環境ではない、
しかたなく昔、自分が書き留めたものを見ている。

いまとあまり変わらないことをかいていることに驚く。

「幸せとは 待ってるひとがいること
帰るところがあること 」

昔の日記から

帰るところというのは
意味としては、深い。

ぼくにしてもその生まれ育った東京をはなれ
旅人の身になり、帰るところなんてないのだから。

ここでなにをするか、それが、大事。

欠点ばかりのぼくは
勝手に人にレッテルばかり貼られて
生きてきたけれど、

人の価値観の中でのレッテルではなく
自分の価値観の中で、
なにかを作り示したい。

衝動的に人生を決めて、今に至るけれど

ぼくにしても、時間は残り少ない。