うさぎとピクニック

うさぎと、自転車、田舎での日々

勝手なつぶやき

させてもらう経験、する冒険

そして、ちょっとつかれたので外のベンチで休んでいると、
歩道でなく、車道を歩くひとりの人が目に入りました。あれ?
よくみると白い杖の手を前に出して歩いています。
けれどさほど杖に頼ってはいないので
まったく見えていないわけではなさそうです。
でも。
あ、車道のまんなか信号待ちのクルマにまっすぐぶつかりそうになってる。
あ、歩道へ上がったらいいか、反対車線へいくか迷ってる。
途中まで様子を見ていたもののあわてて、車道へ
走って行きました。

歩道はこちらですよ。
声をかけて、ひじを触れ合うようにして車線の真ん中で寄りそいました。
歩道について、じゃあ、と言うと「わたし迷ってしまって…地下鉄はどっちですか?」
…うーんそれは難しい。ボクモワカラナイ。

それで戻って店の人に聞くと、20分くらい歩くということでした。
道に迷った人にさらに20分はきついだろう。
どこに行くつもりなのですかと聞くと
仙台駅まで行ければ、と言うことでした。

近くに止めていたクルマで仙台の駅まで送ることにしました。
それにしても仙台駅から歩いて「ここ」まできたというので、
疲れたでしょうと尋ねると、「ぜんぜん疲れていないです」。
迷ったから不安だとか、目の不自由な中歩くから大変というこちらの感覚は
思い込みのようでした。

知らない町を歩くただ、散歩をしていたのだと。
見たところ、二十才前後の女性。
まったく年齢的にはそのとおり。目が見えないから
怖気づいて部屋の中に閉じているものと考えてしまった自分を恥じました。

とはいえ、少しでも人の役に立てたことは
こころがすがすがしくなるもので、その後一日が心地よく過ごせました。
と、ここまでで、終わりにしてもいいんですが、
もう少し話したい肝心の事が有ります。

以前、盲導犬利用者全国大会のときにボランティアをした経験が有ります。
それで援助技術は自分の中にあったので声をかけることの敷居は低かった。
だけどそれは「した」という経験ではなく、実際は
かかる体験をさせてもらうことで、意識を育てられたんです。
こういうときこうしたらいい、という知識や意識を彼らに。
そしてそのときに、彼らがぼくに教えたことが、
ぼくを通して、今回別の知らない視力障碍者の役に立ったというわけです。

そういうこころで、彼女を案内したことを思い返してみると
さらにまた別の思いが広がります。
もしかしたら、あの子はある程度やはり見えていたのかも知れない。

あの子と、横に寄り添い半歩先をいき、こちらの体の一部と触れさせながら
一緒に少し歩きましたが、それほどぼくの助けはいらなかったのもしれません。
ただぼくの経験を察し、そのまま任せる事でこちらを気持ちよくさせてくれたような気がします。
障碍をもって居る人は、いつもそうして心配りをするくせがついているのかも
知れないと思ったりしました。

たぶんもう会うことないでしょうけれど、短い時間にいろいろ感じました。
助手席で「徳永英明さんが好き。結婚したい」という話を聞き
できたらいいねえ。なんて返し
流れていたガーネットクロウの曲を、徳永さんと声が似ているといい
幼い純真な感覚に話しながらこころがあらわれました。

仙台の駅まで送りました。
自宅は仙台の隣の駅だというのでそこまで送ってもよかったのですが
それは尋ねず世話焼きすぎず、彼女の冒険の途中に入るだけにしました。
まだこれからも彼女には冒険が続くはずですから。(続く)