うさぎとピクニック

うさぎと、自転車、田舎での日々

勝手なつぶやき

短い時間

あさ、はたけの近くの大滝でへりはくる、
特別救助車はくる、消防車たくさんで
静かな村はえらい大騒ぎでした。
次の日に村いちばんの情報やさんによると
自殺だったとのこと。

そう、ぼくも。
しにたいとおもったことが
なんどもあります。
ほんとになんども。
辛いからということや絶望での
状況での死にたい、でした。

いのちのはしから、かろうじて見える
くもの糸のような、か細い可能性に
かまりながら、なんとか立ち上がり、
なんにもないところから
なんども生きることにチャレンジしてきました。

軽々しく口に出すべきではないと
いさめるられることもありますが
ぼくは、この仕事はじめるとき
しんでもいいとおもっていしたし
それはいまも変わりません。
ただそれは、辛かったときのしにたいという
ことからではなく、
売り上げが伸びない絶望からとかでもなく

しんでもいいと思うそれは、やりたいことを
しんでもいいから
やりとおしたいと言うことだったりなんです。

ほかのひとには、とるにたらない
ちいさな仕事のながれのなかで
単に、忙しいだけだったりしますけれど
自分が「大事におもう」ことを、
それを「大事に思わない」だれにも
つぶされることなく、信じ、
おもうように動くことができて
自分と同じような価値観の人と
つながれて、話ができて、
ほかのひとに必要とされて
それでご飯が食べれるなんて
それはほんとにしあわせで。

しんでもいい相思相愛の恋が、あるのだとしたら
まさにそれのような。
大変だけれど、そのなかに幸せをかんじている
という点で、ぼくは
いま、いつ再び
しんでもいいと思っているのです。

まえは、ぼくがしんだら
だれも気がつかない生活だったけれど、
いまは少なくとも百人くらい、ぼくに電話を
かけてくるはず、

「まだ野菜こないんだけど」という、
その電話のつながりが、今までできなかった
まだ遣り残していることがある、ぼくの命を
太いつながりでもって、つないでくれています。

仕事ブログにはこんなことかけないから
こっちに。いき急ぐというのなら、そう。
いき急がねば今までの長い押さえつけられた人生の分。
いまぼくの一日は、3日分のスピードで進んでいます。

時間が、どのくらいあるのか。自分の中の体調が壊れたら
それですべてがストップする危うさの中で。