うさぎとピクニック

うさぎと、自転車、田舎での日々

勝手なつぶやき

塩梅と案分

1r0011635 いままで、できなかったことが
ふっと気がついたらできるようになっていた
というようなことがありますよね。
うれしい瞬間。

でもそれって
年齢とともにだんだん減っていくんですよね。
だけど、周りが旧知の当たり前のものだけに
なっていくのが、大人になるということではなくて
できることが増えて行くことが
大人になるということだという気がしています。
そんなことないですか?

子供のとき、お料理が好きでした。
母親に喜んで欲しくて、
料理を作ったり、台所用品を母の日にプレゼントしたり
していました。

でも、レシピを参考にしたことは小学校3年のときに
作った初めての一度しかなくて
(きんぴらと、たまご豆腐)あとは全部自己流。

細かい分量計っていれる
なんてことがなぜかできないのでいつも「適当」

そんなにはずしませんが、
でもなかなかできないのが、目分量で
いれる、とある、調味料でした。

調味料というのには、ちょっと違う扱いです。
でも調味料としては一番難しかったんです。

その後も、ずっとできなくて
今になって、
できるようになったもの。

目分量での塩の分量加減。

料理によって
どのくらいがちょうどいいのか
さっぱりわからなかった。

ときどきゆで汁に塩入れすぎて
しょっぱくて食べられないほどの
パスタ作ったりしていましたから。

いまは、素材が違っても
塩の種類が違っても
だいたいそんなにはずすことはないです。
なんでかわかりませんが、
きっと、素材にすでにある塩分も含め
出来上がりが想像できるようになったからなんでしょう。
イメージできれば、それはできます。

あと、もうひとつ。

こんなこと思ってるの
ぼくだけかなと思うんですが

おかずとご飯の分量なんです。
どうしてだろうと思うほど不思議。

そんなこと食べながら考えて食べてなんか
いないはずなのに
最後に、ごはんとおかずが
ぴったり同時になくなることが
とても多いんです。

食べ終わるときにひそかに自分の
神秘に感動してたりします。
馬鹿みたいなので、誰かといっしょに食べても
くちには出しませんが。
「ほらほら、ご飯とおかず最後の一口がちょうどなの
すごいでしょう」
笑ってわかってくれる人なんて…

それにそんな神秘的なことを
いままで、メディアでも目にしたことがないし
周りでも口にしたひとを知らないので
ぼくほど食べ終わりの感動を気にしてないのかもしれません。
不思議に思わないのかな。

とはいえ、カレーとか子供のとき
ご飯だけ、あまった、しまったぁ
とか、いつもやっていた気がします。
そのうちなにかを予測するようになったせいか
いまはそんなこともなくて。

とすると、もしかして塩みたいなもので
感覚的に、カレーだとスプーンですくいながら
一杯のなかで瞬時にバランスをとって
最終的に同時に食べ終わるということを
やっているんでしょうか?

すごいぞ、ぼくの無駄なコンピューター…。
道理であたまが疲れるわけだと
妙に、自分で納得してしまった。