うさぎとピクニック

うさぎと、自転車、田舎での日々

勝手なつぶやき

所謂呟き

あまり重たいことをかくのもなんなんですけど

昨日ちょっと書いたら思い出したので。

 

自分は小さいとき、大人になったら仕事をできないと思っていました。

つまり社会で生きていくことができないと。

親は35年前と10年ちょっと前に亡くなり、兄弟はなぜか

わからないけれど僕を嫌っていて。

しゃべり方、笑い方が気持ち悪いので、話しかけないでと言われたりで

大人になってからは当然絶縁状態です。

 

父親とはまともに話した記憶はない。

母親はずっと父親と結婚したことを悔いていてその辺の子供の感情は複雑です。

とにかくも複雑な性格の自分は、対象を憎むことしか覚えなかった気がします。

その対象は自分自身にも向いていきました。

生きたくなかったのでしょうね。

 

けれどなんとなく仕事をつないでここまでやってきました、

以前河北新報、夕刊紙の一面新聞記事にしてもらったとき

その辺のことを書いて頂きました、今を語るのは今からさかのぼるより

昔からつないでいった方がわかりやすいと、子供のころからをかいて頂きました。

注意欠陥多動なんです、いまはいろいろ解説がありますが当時は問題児でしかなく

いろいろ相談室、催眠療法など行かされました。

なんの解決にもならないのは自分でわかっていて、

ただ迷惑をかける自分で申し訳ないとだけ思っていました。

 

いつもぎりぎりのスリルを求めてしまう生き方だけど、

なんとかここまで生きてこれて、いつしかそろそろ終わりの支度をする年代。

夢のように過ぎていきました。

生きるのにひとりで精いっぱい、けれど理解者を求めては迷惑をかけてきました。

自分自身が自分を理解できないのに、ひとが他人を理解できるはずもなく。

なんとかここまでやってこれて、うれしいです。

なんどもあきらめそうになったあの時の自分に、言いたいです。

人の言うことが理解できない、ひとが期待するように動けない自分は

できることで頑張れる方法がある。

あともう少しがんばろう、所詮めぐる夢の人生。

なにか動けば必ずかわるこれからがあります。