仙台の…(書いていいかどうかわからないから伏せます)
ある私立高校の中学部から「お話したいことが」、と電話が。
(お)
「外部の専門家の方を総合学習のひとつとして招いて
授業を行いたいと思っておりまして、
ことしは「いのち」ということを一年間のテーマにしたのです」
(おお)
「6回行うのですが、そのうち1回を講師としてお願いできないしょうか」
(おおお)
中学一年生に、いのちをテーマに
きちんとした授業科目として、お話をするとは、
素敵なお話でもう二つ返事でした。
何コマいりますかとの問いに
最初はひとコマでいい、と伝えたんですが、
運転しながらいろいろ考えていたら
伝えたいこと、たくさん出てきます。中学生だと
簡単に話したほうがいいだろうから、時間もかかる。
ふたコマ♪がいいなと今度は自分から頼んで。
近々打ち合わせにいってきます。
なにをおいても、という感じ。
…ぼくね、学校の先生になりたかったんですよ。
自分が、ある意味では落ちこぼれだったので
(友達はなく、先生や親は、ぼくにかってに期待して、
家でも学校でも、毎日怒られ、いくつも習い事に通わされたり、
してはいけないことばかりする子だと、児童相談所に通ったり。)
だれにも理解されない、そういう子供を救いあげてあげたくて。
いや、ちがうな。
元教員だった父親の期待に答えようと
それなりにがんばったんです。
でも、先生に成れなかった。
成れなくて、しばらくは道に迷いふらふら。
気がつかなかったけれど、ずっとそうだった。
いまはもう、
だから自分の道を歩くと決めて。それから
ほんのちょっとだけど、自分がしたかった願いが叶います。
うれしいな。
資料つくったりしたほうがいいんだろうな。
なに話そうかな。
自分の中学生のときのことが思い出されてきます。
酔ったかのように、なにもかも許されたみたいに
思いのまま、しゃべってみたいなあ。
「いのち」とは、ぐるりとまわるもの。
個々で完結していない、つなげていくものつながるもの。
それらすべてが「いのち」なんだよ。
自分を広げ、意識を広げる感覚、
聞いてくれるなら語りたい。
写真は適当なのがなかったので
数年前、米沢の河川敷で撮った さくら。