うさぎとピクニック

うさぎと、自転車、田舎での日々

勝手なつぶやき

名物とは地元のもの。

名物にうまいものなし
といいます。

旅人としての側からは、けだし名言であるのですが
ある意味、地元のおいしいという意味について
違いを知るべきということも含んでいる言葉なんでしょう。

 

 

ところで、過日ほんとのもんじゃを食べたいという知り合いのおこちゃまからの
要求を受けて知人宅に作りに行きました。

ほんとのを食べたいというからには、もんじゃが好きなのか
そうかそうかよしよしそれではと、いそいそ。

インスタントもんじゃを買って用意して下さってたけれど
それは不要とばっさり切り捨て、薄力粉とウスターソースと煮干し粉、キャベ
ツを用意してもらい、フライパンしかないというので張り切って、それで作りました。
子供のころのうんちくを伝えながら、カセットコンロでなんか違うと思いながらもぼく。

けれどなんか違うと思ったのはおこちゃまも同じだったようで

おいしくないとか、これまだ生じゃないのとか、お腹痛くなりそうとか、散々。

しまいにはお好み焼きは嫌いなのとか言い出す始末。
聞くと、もんじゃは食べたことがないそうな、トホホ。

こっちとして見れば、にゃにぉーだけど
あっちとしてみりゃそりゃあ、そうです。
こんなもんおいしいものじゃないですし、上品なものじゃ決してないです。
はがしという、18-8ステンレスの板で
ごりごりと鉄板をこすったり、あちちと言いながらそれを直接なめたり、

流れる茶色い小麦粉の液体や
どろどろを鉄板の上でこねたり、鉄板になすったり。
知らない人が見たら、しかめ面しそうな食べ物をしてこれを認知していいのか
ほとんどのひとが寛容力を試されているごとく迷うようなシロモノ。

故郷の味としてぼくは、そんなものをおいしいと思うのですが、

思うに、あくまでも、こどものころの体験や記憶の中の一つとして
あるもので、一般的に認知されようとおいしくしようとしたらもんじゃじゃなくなる。

そんなことを思うとき
名物にうまいものなしということなんだろうと
思うのです。

おいしいもんじゃをみるたびそりゃ違うだろと
思う気持ちそのままに
おいしいものを探して食べに行くというのも
なんだか違うんじゃないかという気がしています。
習うより慣れろということかな。
食べなれた近くのラーメン屋さんがなんだかんだ一番おいしいのです。

ああ話はあっちこっち行きますが、それにしても、一度
これはひどいと思ったものがあります。
六兵衛という食べ物。
たぶんだれも知らないと思いますが
長崎県島原を飢饉から救ったという伝説になりかけている食べ物。
あまりのまずさに一軒しか出す店がないのですが
それでも歴史的意味から名物とされています。
(もはや名物という概念からも遠くかけ離れてしまっている気がしますが)

 

 

 

さて、もんじゃって、偽ものにより、世の中においしいと認知されたほうがいいのか、
昔ながらのもんじゃの、ほんとを伝えてわかってもらうべきものなのか
いずれにしても不幸な食べものなような気がします。
教えるとして、まずは天気を見たり、作法〔これ一番大事〕や道具の名前や使い方からって、
武士道かっていうくらい伝えるのに一日かかるな。
だけどそういうのを全部ひっくるめて、もんじゃなので
味がどうというものじゃないんですよね。