いつも見ていただいてありがとうございます。
あけましておめでとうございます、今年もよろしくおねがいします。
さて去年の年末ライドのことを、年が明けてから書くというのも
妙にやぼったいことをしているような気もしつつ、です。
それになにをどう書いていいのかさっぱりわからないのは、
「充実」していたからとはいえ、まだ頭の中か混乱中で。
まとめきれないまま書き散らしていくとにします。
今回のライドのテーマは去年(一昨年)の続きと未体験を体験しにということです。
ほとんどすべてが未体験ゾーンの今回、ひとつひとつが
ミッション積み上げ方式なのでひとつこけたらそのあともコケル。
ルートは、去年脚を痛めて、房総半島突端に近いとこでやめたので
そこに近い千倉から。タイムズ千倉パーキングに1日150円だったか、で
3日間予約レンタルしました。
先の不安がよぎるばかり仮眠どころか、夜明けを待ちきれず5時半スタートしました。
さてどんな道のりか、東京の文字通り「ふるさと」を見に行きます。
その前に去年の続きで、房総半島を走りながら、もんもんと考え事をしていました。
ここまで車で下道、500 km、10時間かかったなあ。
仙台から目的地までGoogleナビを使用したら、変なあぜ道経由連れてかれたり。
もっと早いルートが見つかったとかで、数度変更を促されるも、スルーしたら、勝手にルート変更されて今いる場所も南北もよくわからなくなったし
下道ルート選択したのに高速ルートに勝手に変わってり。
長距離ナビはグーグルダメだ、帰りはヤフーナビにしようと決意したり。
車で移動は大変それだけで一泊使ってしまう、食費、高速代、意外に費用掛かる。
次回は新幹線で行こう。とか。
朝4時に着いた時には徹夜状態疲労なのに、脚はフレッシュというのも変だなあ。
どう走っていいのかとか…
それにしても。
先月自転車で500キロ走った時、岩盤浴したり、道路で仮眠して36時間でした。
今回は、クルマで休まず走って10時間、なんだかちょっと変な感じなんですよね。
なんで下道とはいえあんなに飛ばして、自転車の1/3でしかないの。
不思議です。
もっとも、例えば自転車で3時間で行けるところ、クルマは1時間でつくという
ことだけであれば当たり前なんだけれど、いくら考えても腑に落ちない。
まっくら。たぶん去年走った道だと思うんだけれど、という道を外れ
山道、ここはさっき走ってきた道じゃないかと思いながら。
途中ずいぶん下りがあったからあそこを登るのかな、それにしてもあったかいな
いや、山に入ったらいきなり寒くなってきたぞ。
海辺と気温は10度近く違うんじゃ。手が凍りそう。
肩が凝る、山間部の信号で止まった時、肩をぐるぐる動かしたら
前の標識にぼまくの肩ぐるぐるが、影となって映ったので?
信号青。スタートしよっと、と思ったら、脇を軽々とおはようございますと
音もなくダンシングですいーっとね、お、おいっす。というのがせいぜい。
はやい、いつうしろに来たのだろう。
あっという間に50メーターほどの差。ライトをつけてこんな時間に
トレーニングかな。でもサドルバッグつけているからツーリング?
どこから?などと目の前の人のテールランプを見送ります。
が、せっかくあった自転車の人、もったいないかなあ、そんなに離れても行かないので
そのまますこし頑張ってみることにしました。
なんだかずっと坂が続いたのですが、見える範囲で離れて行きません。
しばらく追ううち、少しづつ自分の出力って上がっていくものかな?
そのままの速度で行くと追いついちゃうみたいでした。
面白いものです。軽いペダリング参考になりました。速い人と走ると練習になります、ありがとうございました。あとぼくはやはりどうもサドルが低めみたい。(あまり高くすると下りが怖くなるので避けてましたが、この後上げました)
久留里という魅力的な地名のとこを過ぎるとだんだん混み始めました。
なんだろ、ここまではとてもいい道だったのですが、
狭いわりに車の量が多く、信号も多くすり抜けや車の後ろでまつことも多く
6号までずっと走りにくいルートでした。
いよいよ安孫子。クラス会にでも出たかのように、面影を探します。
見つかりません、もっとも道も拡幅、クルマにホーン鳴らされながらカブトムシをとりに歩いた路肩脇(歩道なかったので)の椚林も今はおそらくマンション群のどこか一角。
探し物をしながら、6号を南下。こどものとき遠いと思ったけれど
いま走ってもやはり距離たかだか15キロくらいなのに遠いと感じた、
それは交通量だったり信号だったり、
坂だったり。あのころうん頑張ったよ自分。
なんにもわからないまま、記憶から歩道のなかった新葛飾橋ではなく、
昔走った葛飾橋を選択。
むかし図書館に通ったけどそこもなくなり、中川橋脇の友達の家もどこだかわからなくなった。
オタマジャクシ取りした中川の風景は変わらないのでほっとしました。
近くの日本紙業は、でっかいショッピングセンターに。
となりの香取神社はマンションが建ち、そこの宮司の娘、一つ年上の子といっしよに焚火をして空き缶で銀杏焼いて食べた、自転車に紙芝居て駄菓子載せたおじさんがやってきて、ひきだしから
汚い色のお菓子をもらって食べながらに紙芝居見た。黄金バットってなんだ?
と思いながら引き込まれた。
商店街で、カメの子せんべい焼いているのを眺めて時々1枚15円のせんべいを買った。
駅前のうなぎやさんの店先の池で泳ぐうなぎをつついて遊んでは店の人に怒られた。
友達の内科医の息子の家、産婦人科の娘の家、歯科の友達の家はいまもかわらずお医者さんやっていて懐かしい。(なんでみんな医者の子だったんだろう、そういえば中学の時文通していた子も医者の子だった)
歯科の子は、うなぎやの息子と、はやくに結婚したと聞いた。
駅前の風景はあまりに変わりすぎて頭が痛くなってきました。
ほんとに頭痛。通っていた時に工事して作った小学校は変わらないので
もう建て替えたほうか゛いいんじゃないかと思ったくらい。
むかしの心の痛みが、よみがえるせいかも。
考えてみるとここに最後に来たのは母親がなくなったころだから
30年前。それからずいぶん変わったものだ。
道路の幅だけは変わらないのでここで遊んだ日々を思い出す。
近所の年の近い子ら5.6人と三角野球したり、花火会、
壁にボールぶつけて巨人の星式トレーニングごとく励んだ日々
マンションや電柱、学校にあぶみさげて岩登りの練習
試験勉強に頭が沸騰してた夏の夜、学校の塀超えて真っ暗なプールで裸で泳いだ
えとせとら。
幼稚園はなくなっていたし知り合いが落ちた肥溜(落ちると一生言われる代物)
は当然とっくになかったけれど
農業高校も変わらなかった、文化祭に行くとお姉さんたちがジュース作ったと
変な色の飲み物をくれるのが嬉しくも不気味だった。
ここからぼくは中学は受験に失敗したこともあり、台東区に越境。
電車で40分かかって通ったけれど、ときどき自転車で友達の家に行くこともあった
そう、大晦日の夜にも凍えながら数人と年賀状直接配ろうぜという話になり
0時に配達して回ったことが。
台東区は当時もやはり葛飾とは空気感が違っていて、なんというか洗練された町文化。
ビルばかりだけど。
学校帰りによく硝子越しに眺めていた「不思議な金太郎飴」は変わらずあったし、
中学はいまは廃校になってしまったけど物体は残っていました。
浅草向かいます、道がこの辺は単純でいいけれどあっというまに隣の町についてしまう。
なんだろうそして文化や、生活圏がまったく違うんです。
これはわかりにくいけれど、田舎と違い歩いていける範囲で文化がある感じ。
だから隣の学区はまったく他人だし、隣の隣の学区はもう世界のはて。
お祭りの次の日はみんなそいやそいやで声をからしていたなあ。
あとやたら小銭持っていました(賽銭箱の近くに落ちてるんだと)
浅草では、ミソスープ定食?の新し風の店に外人さんが行列してました。
ちょうど塩気欲しくて入りたかったけど行列には混じれない。
なんとむかしのジンタントウを背にすると反対がわに、スカイツリーがあるんですな。
東京タワーの倍の高さとは見えないのはなんでだろう。
ここからは、ベイエリアに。
高いマンションいっぱい、川とマンションしかない。
豊洲から竹芝桟橋まではゆりかもめ(モノレール扱い)で輪行しますが
その前にお風呂で汗流さないと臭いかっこうで都会の電車に乗れない。
先頭の値段のお風呂に入ります。ちっちゃい。
ジャグジー風呂しかなかったけど、専用で4泡して飽きたので出ました。
拭いても額から汗が空きだして、番台うけつけのおばちゃんに汗すごいね、と
言われる始末。
一応身だしなみとして短パンをジャージーの上に履いてカバー。
自転車は普通の輪行袋で移動です。
ゆりかもめ。見たことないけどすごいものだ、
これ、あたりが埋め立てていて、砂ぼこりすごくて夢の島(ごみで埋め立てています)
と言われていたとき船の科学館というのが最初に唯一できて、そこに砂ぼこりの未舗装路の時に車に乗せられていったときがあります。
隔世の感。
ここはおおきなディズニーランドですな。
周回するゆりかもめ。
そりゃあ、と豊洲市場に執着するわけだ。
おおきなおもちゃ箱、海外へもアピールしたい、こんな部屋だ調度品だと。
東京ってお金持ちのお家だ。
ぼくは夜景を見ながら、ほよーとしていました。
席はちょうどひとりの席が空いていたので輪行袋を立てかけそこに座りました。
で、あとから乗ってきた若い女性同士のうちのひとりが、乗った途端言うのです。
なんだか炊いたご飯の匂いしない?
蒸かしたような蒸したご飯のような…。
ん?
う?
もしかして、それって ぼく?
お風呂入って蒸かされたし、服はそのままジャージだから
中からもWわっと?
ぷっと吹き出したり、にやけそうになったけどバレルから
必死で我慢して夜景を見てごまかした…。
ぼくって炊き立てご飯なんだ。
その後も時折、思い出しては、ぷっとひとり吹き出すのでした。
竹芝に、意外に早くついてしまって
またまた5時間待ち。
しかもやることもないので、ひたすらベンチでぼうっとしてました。
22時すぎようやく乗船受付。
輪行袋入れた自転車は無料で指定場所に置いてくださいということで
ネットサイトでは有料のコンテナ扱いだったので空いているせいか
ラッキーでした。
ただ、ただ…船でもあるんだなあと衝撃だったのは
条件付き出航。
八丈島あたり年末に向け波が荒くなってきているので接岸できないときは
引き返しますとのこと。
ネットサイトで知らべると、東海汽船大型客船の接岸率
大島99% 利島83% 新島90% 神津島94% 三宅島92% 御蔵島63% 八丈島88%とか
100回に12回…そんなに悪くはないような気もするけど
さらに気になる行って戻ってきたときの運賃はどうなるんだろう
倍?
それとも?
調べてみると経験者のサイトがあり、払い戻しでまさかの無料だったそうな。
ふとっぱら。ぼくの場合
現地へ送った宅急便の手配と運賃、帰りの航空便が無駄になるけど
ふねに揺られて行って帰って2泊?
まあそれもいいかな、現地に行かなくてももう十分下調べして
行った気にならせていただいたし。
どきどきして、順番に並び重たい輪行袋を抱えて船にのりこみました。
ベイエリアもまたきれいな灯、ベイブリッジがレインボー。
席はどこだと、探してみるといちばん下の下層。
なんだか部室チックな地下室。
そうですわたしゃ下層貧民ですねんと、ひねくれそうになりながら
8人部屋の指定場所に荷物を広げてしばらくすると、あれま。
ほかに誰もいない、これは個室じゃないですか。
なるほど、空いていてもなかには掃除の手間や上級との差をつけるため
一部屋に押し込むということはせず、お客思いを感じてうれしくなりました。
お風呂もないちいさな船だけど輪行袋と言い、なかなかです。
発熱するアイマスクをしてこないだほどではないですが、三宅島着が5時なので
たぶんそこでおこされるだろうしと、はやめに寝ます。
毛布がないので、持参シュラフをかぶって、ケータイ音楽プレーヤーで
音楽を聴きつつ騒音シャットアウト。
このとき念のため酔い止め飲んだつもりでいましたが帰宅したら残っていたので
違う薬飲んだみたいでした、でも酔わなかった、
大人になって船で酔わなくなったのか、プラセボですな。
酔っている他人に使える手かも。
どうなるんだろうと思いつつ徹夜で下道500キロ運転して、
自転車で200キロ近く走って電車にも乗りお風呂にも入って
船でインスタントものだけどちゃんと、ごはん粒も食べたので
眠くなってきました。
では1日目、終わりです、おやすみなさい。