なんでひとが容易くできる、これっぽちのことも
自分はできないのだろう
ずっとこどものころからそう思って生きてきた
いまもそうもうずっと、いつも
なんでひとがあたりまえにできることをできないのだろうと。
折り紙すら。
だからあえてひとがすることは避けている自分がいる
しょせんひととおなしようにできないので
比較の対象になる同じ土俵には乗らない。
ならば居場所は。
自分ができること好きなこと
これが好きだ、これならできるというその場所を自分で
作り認めてもらうしかなく。
特異な部分で勝負するというか
できることをせいいっぱいするしか生きる道はない
それでもなお、なぜひとが容易くできることをなぜ自分はできないのかという
部分にいつも簡単に立ち戻る。
たぶん最初のなにかのきっかけの部分が理解できないのだろう
と思うのだけれどもとより、それがなんだかわからない。
いやいや自転車ですら、ひとができることできないのだもの。
なんでほかの人できることできないんんだろう。