うさぎとピクニック

うさぎと、自転車、田舎での日々

勝手なつぶやき

バイト先の新人

自分ら頑張ってきたよね、と同期同僚の彼女とは慰めあっていた。

どんな人が来るかな、普通の人だといいな、うちらが普通かどうかは別にして、

と同僚、

 

で、普通がいいという願いは崩れ、新人は古参と非なるも似て、

また変わった人たち…。

せめて挨拶くらいして欲しいんだけれど。

でも田舎では普通なの?…わからない。

しゃべらずに過ごし、挨拶なしにいきなり時間内に先に帰るふたり。

 

田舎の人って、なんだか自由。仕事のやり方も今までのやり方教えても

継承するのでなく自分がルール作ってるの、楽でいいよね。

おじさんだから?

独特のやり方でこっちは意図がわからない自分の世界をはやくも築く。

逆説的に不思議な気持ちになる。そんなんでよかったのか。

自分らは必死に先輩らに気を使い模倣ししていたというのに。

 

とはいえなんで気を使い仕事している自分が、その人が漏らしたことの

後始末しなくてはならないのかというのが正直な気持ち。

何回言っても理解せず同じ間違い繰り返す覚えが悪いおじさんたち。

やり方をまねればいいだけなのに、なにに固執しているのか。

 

一方、例えば都会ではみなそれなりに、社会にもまれている人たちばかり。

車を都会で運転すると特に思います。それにりのステータスをもっているか仕事で

日々運転している人しかいないからマナーがいい。

けど田舎は違う。運転マナーもなにもあったものでなくママチャリ感覚。

地方都市のさらに田舎は、自分中心にらくにに生きてるひと多い。

 

もしかすると自分の苦しみは、都会で生まれ育って枠にはめられようとして、

そうできなかったことによる重圧ということなんだろう。

自分はいろんな経験が中途半端にあるせいかいろんな立場でものを見らてしまう。

一つのことしていてもいろんなまわりに目をやりながら

相対的に全体を把握して、全体の中でトランプのカードを手の内にもって

ゲームでもしてるような感覚になる最近は。

それはそれで全体の中で相手の手が見えるというのは面白くて、楽。

常にひとの手を読み、自分の手が先回りして結果として全体の把握。

周りを見ているとほんと周りは周りに気を使わないひとが多く楽に生きてるなと、

逆にぼくはこんな人たちの価値観にいま迄振り回されていたのかと。

 

気にしなくてよかったのに気にしすぎてた。

こどものころなんでみんなと一緒のことができないのかと怒られ、

自分がこうしたらいいとひらめくことを行動すると怒られ、

あれこれ率先してやると怒られるからと、

みんなが動き始めてから真似してあとからやると行動が遅いと怒られ。

やることなすこと怒られ。

 

いったいなにを怒られているのか理解ができず。

その場をただ耐え。おとなになり、年をとり、いまはやっと楽になれました。

そしていま思うのは、ほんとにそんなダメな自分よりできない人が多いということ。

自分より楽に生きている人が多いということ。

田舎って不完全を認め合う社会なのかな、

それはそれでいいのかもしれないと、年いった新人二人をみてて思う。

自分も都会が窮屈で辛くて、でてきたわけだし。

挨拶すらしないのは、こちらの存在を無視しているのではなく

もしかしたら、人間づきあい苦手な人たちなのか。

外に何かを伝えるということを知らないのかもしれない。

 

何回言ってもわからないから嫌になってきたけど…

やることやってくれれば、と同僚彼女とは慰めあっている。